【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「時間の価値を考える」

 ただいま就活中。世の中には星の数ほどの企業があるわけなんだけども、やっぱりこれから働く先を選ぶからには、「残業時間の多いブラック企業には行きたくない!」「仕事とプライベートのメリハリが欲しい!」なんて漠然と思うわけで。

 でも、残業したくないとか、メリハリが欲しいとか言いながら、ああでもないここでもないと愚痴をたれながら、企業を深夜まで探している自分がいることに、ようやく最近、というか今日気がつきました。深夜まで探すって、残業してんじゃないか俺!

 そこで、そもそも「残業」ってなんなのだろうかと考えてみる。

 

 今の社会的知識のない自分が考えられる範囲で、「残業」ってのはどういうことかを考える。まずそれは、所定勤務時間を超えて仕事をしている、ということ、だろう。7時まで仕事なのに7時を超えて仕事をすること。しかし実はこれだけでは、まだ十分な説明ではないとも思う。

 例えば、人によっては自分のやっている仕事が好きでたまらないということもあるだろう。プログラミングが大好きで深夜までやっているとか、クライアントのことで頭がいっぱいでずっと仕事をしているとか。この場合、はたから見たら残業になるんだけど、当人にとってはやりたいことをやっているわけで、少なくとも「残業辛いわー」みたいな意識で残業をやっているわけではないだろう。

 と、すると、残業の定義としては、「やりたくない、やりがいのない仕事を所定時間を超えてもやっている(やらされている)こと」、ということになる。

 

 ではなぜこんなことになるのだろうか。残業が発生する理由も考えてみる。

 まず考えられるのは、環境の要因だろう。仕事がキャパオーバーで降ってくる、とか、残業しないといけない空気がある、とか。これはもう、最悪のパターンである。できれば企業選びの上でも避けたい。

 しかしもう一つある。それは言われれば当たり前だけど、単純に自分の仕事、やっていることの効率が悪い、っていうこと。睡眠時間を削って深夜までダラダラと企業探しをするのは、どう考えても効率が悪い。

 なので、残業させられる空気がある企業を選ばない、ということも重要なんだけど、まずは自分が、残業をしない人間、つまり作業を効率的に進められる人間になるということが、まず大切なことだと思う。それもできない人間が、「残業はしたくないです」なんて言っても、そもそも説得力がない。

 

 ここまでをまとめると、「残業をしたくない」には、3つの意味がある。

⑴やりたくない、やりがいのない仕事をしたくない

⑵残業をさせられるような企業に行きたくない

⑶仕事の効率が悪い人間にはなりたくない

 

 ⑴を達成するためには、自己分析と企業研究によるマッチングが不可欠である。⑵も同様。自分と相手をしっかり知ることでこの二つは達成できる。しかし⑶は、知ればいいのではなく、自分が変わらなければならないことである。特に、今まで学生をやっていた身分としては、「時間」というものに対して、のんびりと構えているというか、短時間で終わらせるなんていう考えはなかった。だって時間なんて余るほどあったから。でもこれからは、この「時間」に対しての意識を変えていかないといけない。

 

 ちょっと話はそれるけど、仕事だから、社会人だから、なんて理由で、効率効率って口すっぱく言うような人間にも、なんか抵抗がある。「なんで効率が大事なんですか?」「社会人としての常識だからです」っていうのは、あまり好きじゃない。

 そもそも仕事は人生の一部であって、生きることの中に仕事があるのである。間違っても、仕事のために生きるわけではない。「仕事」よりも、より本質的なところに、「いかに生きるか」という問題があるわけで。だから仕事を考える前に人生について考えたいし、人生について考える文脈の中に仕事を捉えたいと思う。なので、「効率」という言葉も、「仕事」という文脈で語るのではなく、まず「人生」という文脈で語ってみたい。

 

 人生とは何か。いろんな考え方があるだろうけど、「時間」だと考えることは、できるだろう。人生80年とするなら、80(年)×365(日)×24(時間)だけの時間を我々は生きて、そして死ぬのである。「いかに生きるか」という問いのとりあえずの答えが、「よく生きる」なのであれば、よく生きるとは「よき時間を生きる」ということになるだろう。

 よき時間とは何か。それは「価値ある時間」だと言える。それは例えば私にとっては、古典の文学や哲学を読むことだったり、友達と酒を飲みながら語り合うことだったりするわけで。そしておそらく、残業をめぐる「効率」の話というのは、この「時間の価値」の話と関わっているのではないかと思う。

 1日には24時間しかないわけで、その中でその時間の価値をどれだけ高めることができるか。それがそのまま、人生の質につながってくるのではないだろうか。

 

 ただ、今の所漠然とはだけど、「価値ある時間」=「効率的な時間」では、ない。効率は価値ある時間の中の、一つでしかない。例えば効率重視で20分で夜ご飯を食べるより、ゆっくりと家族で談笑しながら囲む食卓の方が豊かでしょう?1ヶ月に30冊本を読むより、深い本を1冊でいいから、じっくり、考えながら読む方が、豊かでしょう?いやこれは人によるか。なんにせよ、効率は時間の価値の上げ方の一つであって、全てではない。これを履き違えた人が、何でもかんでも効率効率って、無駄を省くっていうんだろうなー。

 

 ではどんな時に効率を重視して、どんな時にはまた別の基準で時間の価値を考えなければならないか。それは今の所よくわからないけど、⑶仕事の効率が悪い人間にはなりたくない、から膨らませて、「よき人生(時間)を生きたい」と考えるなら、「時間の価値」という点にもっとフォーカスを当てていくべきなのではないかと、思います。特にこれまで、のんびりと、時間はいくらでもあると思っていた学生ならばこそ。

 

p.s.

このブログの記事1つ書くのにも、1時間ほどかかっているわけで。しかもただいま深夜3時。これは果たして、時間の価値的にはどうだろうか。もうちょっとこう、プロットを意識して書けるようになりたいなぁ。why、what、howとか、起承転結とか、物語構成とか。こういうことだよね。こうして「時間の価値」を考えることが、成長につながるわけです。

 

 

 

 

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