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【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「人生の満足度は何で決まるか」

 就活をしていると、自分がどんな仕事に就きたいか、どんな企業に行きたいかを、必然考えないといけなくなる。今まで自分の生き方を考えてきた人もそうでない人も、改めて具体的な「内定」というゴールをとることを踏まえて、より現実的に考えなきゃいけなくなる。

 でも僕は小手先のテクニックは好きじゃないですから、やっぱりそもそも論から考えたい。そもそも論から考えるってのはどういうことかというと、内定をもらえるためのテクニックの前にまずは仕事とは、ということだし、仕事とはの前にまずはいかに生きるか、ということだと思う。生きることの中に仕事があるのであって、その仕事の中に様々なテクニックがある。のでまずは、「いかに生きるか」ということについて少し、考えてみる。

 

 人生、いかに生きるか。時間の価値について記事を書いたけど、人生の価値とは時間の価値である、と思う。それは効率を重視した量的価値だけではなく、例えば仕事終わりのビールとかの、質的価値も含め、である。しかしこれはあくまで、効率を求めたい人にとってはそういう時間の使い方が価値なだけである。ダラダラするのが大好きな人にとってはそういう時間が価値があるし、仕事したくない人にとっては土日は紛れもなく価値ある時間だろう。

 この点から考えると次のように言える。価値とは、欲望・関心・興味に相関する。これは竹田青嗣さんが言っていたこと。欲望関心相関性の原理。だとすればいかに生きるかということは、この欲望と、密接に関わることになる。つまり、いかに生きたいのか、である。自分はどのように生きたいのか、その望みに対して、その望みを達成するような時間の使い方に、価値が生まれていく。

 

 しかしこれまた、この欲望や望みにも質があって。例えばダラダラ生きたいと思う人がいたとする。それはそれでいい人生だとも思う。けど、私個人の経験だけで考えるなら、やっぱり誰かのために役に立っている時とかの充足感には、敵わないと思う。なんだろ、ポテチはうまいよね。でもどれだけポテチがおいしくても、アツアツのハンバーグには勝てないじゃないですか、というか。欲望にも色々あって、パッと満たせてパッと消えるものもあれば、ジワーッと浸透していくような満足もある。

 ではどちらが、より良い欲望の満たし方なのか。多分それも、個人の生き方次第。でも個人次第なんていうと、やっぱりどこか丸投げ感はある。

 

  私はこういう風に考えてみる。人生とは、なんていう大きな問いはどこを足場にして始めるかが大事である。そこで、「死」を足場にとってみる。誰だって人間は死ぬからだ。

 死ぬということは一切の虚無化である。虚無、と言っている私の消滅である。残酷といえばあまりに残酷、でもそれが人生である。私たちは生まれた瞬間に、死刑宣告を受けている。確実なのはその死刑宣告が確実に未来に執行されるということと、それがいつなのかは絶対に知り得ないということ。

 人生を山登りのように例えてみよう。その山頂に、自分の欲しいものや、なりたい自分像を描く人が多いのではないだろうか。その山頂を目指して、頑張っていく、努力していく、そのために学歴を得て、大手企業に就職して、と。しかしそれは勘違いである。というか、山頂がゴールなのではない。なぜなら死ぬんだから。我々の人生は、何を山頂にして登るかということ以前に、人生の終わりは崖だと決まっているのである。

 社長になっても死ぬ。金持ちになっても死ぬ。大手の内定を得ても死ぬ。のである。ちょっと暗いだろうか…。でも大丈夫、これは方法的悲観主義ですから。

 

 何をゴールにしても、結局死ぬのだということは、結局我々に何を気づかせてくれるだろうか。それは、人生が登山だとするなら、死ぬんだとしてもなお登りたい山があるんじゃないか、ということである。

 自分が死ぬんだとしても俺はお金持ちになりたい、権力者になりたい、弱者を救いたい、とか。この「死ぬんだとしても」というところが、欲望のフィルターとして働くんじゃないだろうか。

 つまり、いろんな欲望があって、それぞれで満足の量と質が変わってくるんだけど、その中でもどれを選んでいくかということは、死ぬんだというフィルターを通せば、少しは選べるようになるんじゃないだろうか、ということ。

 

 まとめ。

・人生の価値=時間の価値

・価値は欲望関心に相関する

・欲望の満足にも濃淡や浅深がある

・より良い満足は「死んでもなおそうしたいか」で決まる

 

p.s.

実は、死というフィルターを通して見えるのは、それでも登りたい山頂ではなく、登ることそのものが楽しいと言えるようなことではないか、ということを言うつもりだった。しかし、死を踏まえてもなお、たどり着きたい山頂はあるし、死を踏まえてもなお、登ることが好きだということも、どっちもあるなと。書きながら。

この二つは、いろんなレベルで語れるけど、「内容=目的」と「方法」という二つのポイントで語れると思う。これは仕事を考える上での重要なポイントだから、しっかり考えてみたい。

 

 

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