【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「なぜ仕事の意味を考える必要があるのか2」

 

kizito.hatenablog.com

 この続き、である。

 

 結果と目的は、利他か利己かの違いではないか、という結論に対して。しかし、もし成長が目的なのであれば、仕事じゃなくてもよくはないだろうか。読書でもいいはずである。こう考えると、成長は結果もしくは手段であって、やはり目的ではないような気がする。

 なぜ読書をするのか。楽しいからである。読書をすることで手に入る知識、世界観が、魅力的だからである。これは、結果ではないのか?読書の結果ではないのだろうか。

 なぜ音楽を聴くのか。これも楽しいからである。しかし読書や音楽には、苦しみはない。やらなければならないことはなく、自分の裁量で止めることができる。趣味に必要なのは目的ではなく結果である。喜びである。楽しむことである。これだけで十分であり、故になぜ読書をするのか、なんて問いは出てこない。

 いつでも自分の裁量でやめていいということに対して、我々は意味を問う必要はない。嫌ならやめればいいからである。楽しい限り続ければいいからである。我々が意味を求めるのは、より正確にいえば、苦しみの中にあって、かつ、逃げられない時である。趣味は逃げられる。というか楽しいから逃げる必要もない。よって目的も意味も必要が、ない。

 なぜ逃げることができないのか。いろんな理由はあるかもしれないが、その仕事はいろんな他者が関わっているから、というのが一番、ではなかろうか。これをここで止めることが、私以外の人に影響を与えてしまうから、ということだろう。仕事は人のため、という目的、そもそも目的はなぜ必要か、苦しみを乗り越えるため、しかしその逃げられない苦しみを生み出し私を縛り付けるのは、人である、ということになる。

 誰かのため、ということは、仕事の意味と同時に、私を苦しみから逃がすことができない鎖、なのではないだろうか。私が誰かのためと考える以前に、すでにその仕事は誰かのためになってしまっているのである。その関係性があるから、簡単には止めることができない、仕事が辛くても、逃げることができないのである。これは仕事と趣味の、大きな違いかもしれない。仕事は一人でやるものではない。お客もいるのだから、必ず関係性が生まれる。一人で本を読んで音楽を聴くのとはワケが違う。仕事は、逃げることができないものである。逃げることができないからこそ、意味を求めるわけである。

 では、仕事をすることの意味とは何か。お金、成長、喜び、これは仕事の趣味的側面といってもいいだろう。だから、これだけが目的ならば、別に仕事でなくてもいいのである。こうして、フリーランスとか、情報商材とかのビジネスが栄えるわけで。

 

 逃げられないということ、それ自体が、やはり意味ではないだろうか。『仕事の思想』にも、高貴な者の義務について書かれていたが。いつでもやめていい仕事というのは誰にも必要とされていない仕事である。いつでもやめていい人生というのは誰にも必要とされていない人生である。こんな、こんな寂しいことはない。たとえお金を持っていても、地位があっても、この、繋がりみたいなものを感じることができなければ、その人の人生はやはり寂しいのではないだろうか。関係性に対してどのように評価するかはもちろん人それぞれで、人によっては逃げられない鎖だし、また人によっては背負うべき責任である。生きるということも、仕事ということも、この関係性、自分と他者の関係性の中に、意味があるように思えてならないのである。しかし同時に、意味を問わねばならなくなるような苦しみもまた、ここに含まれている。

 

 んー、なんかうまくまとめて説明することができない。しかしやはり、人にとって他者は、天国であり地獄である、ということは、真実であるように思う。私の心は、他者によって豊かになるとともに、他者によって殺されるものなのだろう。成長、お金や、喜びは、もちろん生きることに不可欠な者である。我々はパンのみに生きるにあらず、ではあるが、パンがなければ生きられない。パンも必要だし、喜びも必要だし、生きがいも必要である。

 結局、うまく結論は出なかった。仕事の意味、生きることの意味は、他者にあるということは、やはり直観的にブレないし、また同時に、仕事を辛いものにするのも、生きることを辛いものにするのも、他者であるというのもわかった。私の心を活かすも殺すも他者の心、ということは、私の心の成立条件は他者の心にあるということである。煩わしい人間関係を避けることは、私の心の成立条件である他者の心を引き離すということであり、それだけ心はやせ衰えてしまう。逆に他者の心と戦えば、まさしく心は鍛えられ、「人間力」が身につくのだろう。

 しかし「人間力」を身につけることは、仕事の目的、意味、苦しみにあってなおそれをすることの意味にはならない。もう一つ、『仕事の思想』を読んで、感じたことがある。それは「夢」について、である。夢と目標があれば頑張れる、的なことを書いていた。私が求める仕事の意味も、まさにここにあるのではないか。しかし違和感も感じる。この「夢」を巡って、次も考えてみたい。