【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「悩める友達との対話にて」

 罪の意識を持って生きること。自分は人に迷惑をかけてしまった。だから、生きる資格はない、それでも生きる以上、自分を責め続けねばならない。それは罰である、罪に相応の罰である、そう思って生きて来た。逆に、罪を犯したくせに、のうのうの生きることが許されるなんて思えない。

 しかしこれは間違いだった。罪に必要なのは罰ではなく、贖罪だからである。自分を罰して何が変わっただろうか。私は何も成長しなかった。迷惑をかけた相手にも何も返さなかった。何が変わっただろうか。

 むしろ、私は、自分を自分で責めて、自分で自分に罰を与えることで、自分を許す理由にしていたのではなかったか。これだけ苦しいのだから生きていいと、思っていたのではなかったか。それは罪への甘え、苦しみへの甘えであり、より卑怯な考え方ではなかったか。

 罪を犯したことはもはや撤回のしようはない。やってしまったことはやってしまったこと。それが自分。しかし、やってしまった自分と、今後もそのままでいる自分は違う。間違ったからと言って、このまま永遠間違うとはいえない。罪を犯したのだからこそ、どう返すか、そのためにどう成長するかをこそ考えるべきなのであって、罰の苦しみで自分を許すのは、やはり卑怯である。

 罪を犯した。罰がなければ、のうのうの幸せになんてなる資格なんてない。これは半分正しい。罪を犯したくせにのうのうと生きることにはやはり罪悪感がある、しかし、だからと言って必要なのは罰ではない。人から奪ったぶん、与えられる人間になるための成長こそが必要とされるのであり、そういう建設的な方向にこそ人生を考えるべきである。苦しみに甘えてはならない。

 

 小さなことで傷つく人は、求めるハードルが高すぎる。自分にも、世界にも。世界は自分の要求通りになると暗黙の前提で思っているから、思い通りにならないと凹む、もしくは怒る。自分は完璧であらねばならないと思っているから、少し何か失敗をすると凹む。ハードルが高すぎるから、そのハードルに満たない自分や世界を憎む。

 世界も、自分も、大した存在ではないのである。世界は思い通りにならない、理不尽に怒られることもあるし、相手に真意が伝わらないこともある。でもそういうものなのである。事実、そういう風な世界を経験しているのだから。経験こそが現実であって、理想は現実ではない。べき論はべき論であって、当たり前ではない。できないのなら、できないのは当たり前であり、望み通りにならないなら、望み通りにならないのが当たり前なのである。理由は、事実そうなっているのだから。

 ハードルが高すぎると、ハードルに満たない自分に嫌気がさすばかり。しかしハードルを下げれば、できない自分が当たり前だと認められるなら、そこからどう理想に近づけるか、という努力の仕方が見えるようになる。なぜなら言ったように、今できないことと、未来永劫できないことは、違うからである。今日まで生きて来たことが明日死なないことを保証しないように、今日までできなかったことが明日できないことを保証するわけではない。できなかった今日を基準に、できるようになる明日を目指すべきである。

 

 未熟な自分をどうすればいいかと考える人がいる。考え続けることでなんとかなると思っている人がいる。しかし考えている自分とは、まさに「未熟な自分」なのではないか。未熟な自分が出せる答えは未熟にとどまる。未熟から成熟に変わるためには、未熟な自分にはないものを手に入れなければならない。未熟な自分にはないものを、どうして未熟な自分が考えることで手に入れることができるのだろうか。ここに、読書や、人と会って話をすることの意味がある。自分にないものは、自分の内側からではなく、外側から手に入れなければならない。その外側とは、本であり、人であり、経験である。

 

 考えているつもりが考えていないことは多い。自分の不快な感情を反芻して、ぐるぐるして、結局一歩も進んでいないことが多い。苦しんでいるぶん、その時間には意味があるように思い込んでしまう。こんなに頑張っているんだから、こんなに苦しんでいるのだからと、空虚な意味を抱いてしまう。その意味にしがみついて、また考えたふりして感情を回し続ける。一歩も進んでない。

 考えるとは、言葉を持って、頭の中のモヤモヤに形を与えながら、それらを整理したり組み合わせたりすることである。そうすることで、何ができて何ができないのか、何がわかって何がわからないのか、何が原因で何が本質なのかが、わかってくる。考えるということは、形のない感情をぐるぐる回すことではない。それは悩むということである。考えるためには言語化は欠かせない。ここに、日記とか、ブログの意味がある。言語化して、書き出す練習をすれば、自分の頭の中をスッキリさせることもできるし、自分の頭の中に形を与えることができるようになれば、人にも伝えやすくなる。

 

 以上。悩める友達との対話にて。

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