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【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「休日の使い方 満足度と面倒度」

 今日で春休みは終わり。明日からまた、学校が始まる。五年生になる。

 この一年が勝負である。ついに、ついに私は大学を卒業することができる。実に長かった。やっと、やっと社会に出ることができる。

 春休み最終日、ということで、しっかりダラダラさせてもらった。いや、最終日というのは言い訳である。そうでなくてもダラダラしている。結局1日中youtubeを見ていた。頭が麻痺している。もう何度も何度も繰り返してきたことである。

 しかし明日から学校が始まるのだ。切り替えなければならない。最初は辛いだろう、しかし切り替えなければならない。去年は確か5月あたりに大きな精神的凹み状態がきた。今年はもう少しマシであることを願う。

 

 とにかくやらなければならないことは卒論と英語である。そのために授業もほぼ午前中で終わるように作った。午後は思いっきり時間を使って勉強ができるようにである。加えて、もう私は家にいていいならずっとダラダラしてしまう。それに罪悪感を感じるのにも関わらず。先日、怠惰は動画から始めればいいなんてこと言ったけど全然解決方法にならなかった。結局動画からスタートしてずーっと動画を見てしまった。だからもう、家に一人でいては、自分の自分の意思で変えることは不可能である。自分を変えるためには環境を変えなければならない。できれば仕事が始まっても、休日は家でゴロゴロ、という人間にはなりたくないのだけれども・・・。

 少しでもお金があればね。休みの日はカフェにでもいって読書、なんてこともできるのだけども。もしくは図書館か。そうだね、図書館に休日も行けばいいっちゃいいか。でも、意思で自分を変えることはできないといって、結局この自室という環境から外へという環境に動くためには意思が必要なのである。だからここは、やろうとか、やりたいとかではなく、やらなければならないというある程度の強制力が欲しい。

 そしてその強制力は、誰かとの関わりによる。自分ルールで決めたやらなきゃは、結局守ろうが破ろうが自分次第なんだから、やるべき、にはならない。でも他者が関わっていれば、そう簡単には破れない。やるべきことになる。しかし休日まで誰かに縛られて何かをやらなきゃ行けないなんてのはしんどい。んーそうするとやっぱ、自分で何とかするしかない。

 何だろう、休日は休日である。しっかり休みたい。平日に英語とか卒論とかやるぶん、休日はメリハリをつけてそれらには手を出さないように、していこうかなとも思う。休みの日はそれ以外の本を読む(卒論が哲学なんで文学を読むとか新書を読むとか)っていうのもいいし。要するに、平日と休日でメリハリはつける、けど、あくまで「メリハリ」なのであって、休日にダラーっとしていいわけではない、ということである。

 しかしそういうダラーっとしたくないという理想と、ダラーっとしてしまう現実とがある。めんどくさい、とか、疲れてる、とか、そういうのが前に出てきてしまうわけである。でもそれに従って、あーいい休日だったなーなんて思う日は一度もない。だいたい1日の終わりに、今日みたいに、時間を無駄にしたなーという罪悪感がある。

 休日をいかに使うか、これはやっぱり未だに私の大きなテーマである。習い事を始める、とかもいいかもしれない。でもそれもやっぱ金がないわけで。

 

 休日というのは、休日という「時間」とは、つまり、「やるべき」ことのない時間である。この意味で平日の、学校に行くべき、仕事に行くべき、バイトに行くべき時間とは違う。何に使ってもいい、自分の時間である。故に私は今のところ、何に使ってもいいので、「無駄に」使っているわけで。

 友達と旅行に行く、とかいう使い方もいいよなぁ。なんかやっぱ、自分の好きなことに使いたい。その好きなことは、人が絡むことが多い。酒を飲みに行くとか、旅行に行くとか。一人の時間で好きなことと言ったら、音楽とか、読書とか?でもそれをせずにダラダラネットサーフィンしているわけで。

 

 結構文脈というか、その手前で始めたことにもよる気がする。最近ハマっていること、とか。時間を使うか、垂れ流すか、これも習慣がある気がする。垂れ流すことに慣れてしまったら、もう時間を使うということそのものがめんどくさいというか。でもそういう方向に収斂して行くということは、結局俺は、何もしたくないのかもしれない。だったらもっと、何もしなくていい1日に満足してもいいはずである。何でこんなに満たされない?

 

 休日の使い方。自分の、何に使ってもいい時間を、何に使うか。楽な時間に使う、時間を垂れ流すのもいい。でも、それは楽な時間だけど、満たされた時間ではない。私が欲しい休日は、満たされた休日である。好きなことで、である。

 しかしでは満たされた時間は、疲れる時間なのか。めんどくさい時間なのか。めんどくさいから満たせないのか。しかしめんどくさいは習慣ではないのか。

 読書というものが好きだという事実に甘えて、自分のプライベート時間をいかに過ごすか、いかに過ごしたら私は幸せか、ということをあまり考えてこなかったのかもしれない。好きー嫌い、満足ー不満、楽ー面倒。満足度と、面倒度が、うまく噛み合わないのだろうなー。

 

 

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