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【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「田中美知太郎、『世界の名著6 プラトンⅠ 』、中央公論社、1966」①

Ⅰ、ソクラテスプラトン

 

1、プラトンの今日的意味

 プラトンの時代のギリシャ時代の世界と、現代は、政治的にも、思想的にも、社会的にも、似てきている。故にプラトンの語ることは、我々にとって決して、昔の古典のこととは思えないリアリティを持つようになってきている。

 

2、プラトン理解のための留意点

 プラトンの根本の考えは、「個人の生活にも、家庭や国家社会の生活にも、知識と技術をできるだけ多く導入して、わたしたちの幸福を確実なものにしたい」12ということであり、幸福でかつ善き生き方のための社会と個人の実現のために、哲学が求められる。

 しかしプラトンの思想には危険な部分や、表現も多く見られる。だからこそ、思想の一部分のみを切り取って解釈するのではなく、コンテクストを把握して理解しなければならない。

 

3、プラトンの思考表現の特色

 ミメシス・・・ものまねの技法。これによって様々な思想を持ち出し、積極的に戦わせることで真理を追求する。

 問答法・・・一人語りになるとなぁなぁで議論が上滑りしてしまう。このような一人語りに騙されないために、一問一答式にして、論理の階段を一歩一歩、一つの問いと、賛否の答えとで、双方の合意のもと進んでいく方法。これにより共同で議論し、思考することができるとともに、間違った場合に分岐点となる問いにさかのぼることができる。

 

4、問答法の背景としての二つの潮流

 イオニア派・・・「経験的事物の説明には経験外のものを用いず、自然は自然によって理解し、超自然的な原理から説明しようとはしない態度」22。万物は水である、とか。経験主義、自然主義的。

 エレア派・・・パルメニデスなどに代表される、「純論理的傾向」23のある哲学的態度。「ある」は「ある」、「ない」は「ない」のであり、この有無が行き来することはおかしい、など。

 

 経験主義的なイオニア派哲学を、エレア派が論理によって批判し、窮余の一策として新たな原理(ex.アトム論)が生まれる

→万物は水というが、水から土とかは生まれない=有無の交換不可能による、「生成・変化」の否定

→分割された要素の「組合せ・結合」で世界を説明=アトム論

→結合には運動が必要、運動には空間が必要、しかし空間は「ない」、「ない」ものは「ない」=空・虚を否定

→存在と、有無は違う、故に、無も存在する、とする。これによって空間は存在する=運動できる=結合できる

→空間=無があるということは、物体=有をいくらでも分割できるということ。分割して限りなく無になったら、無の集合は無であり、おかしい。また無限に分割できるなら、その集合も無限の大きさになってしまう=「無限分割にからまる背理」

→よって、分割は無限には行われない、その最小単位として、「不可分なるもの」という定義がアトムについた

 

5、ソクラテス的生き方

 パトス(心情)の納得だけでは、我々は狭い経験や習慣の中に閉じ込められてしまう。経験から何か新しいものが生まれるには、その経験を超える飛躍がなければならない。

 よってまず、納得を突き動かすエレンコス(吟味)、その手段として問答法。納得(既知)を解体され、未知へと至るには、それを繋ぐ普遍的なものの媒介=推理が必要。

 吟味=問答法による納得の解体

無知の知

→推理による、既知の経験から未知への冒険的飛躍が可能になる。

 

 ソクラテスの目的は議論に勝つことでも人を説得することでもなく、ただ真理を知りたいというだけ、それによって生き、かつ死ぬことだけであった。「知ることに熱中」していた。

 

6、プラトンの哲学的冒険

 「論理的な困難や否定的な結果というものは、それだけで終わるのではなくて、かえって新しい工夫、新しい考えを生むための飛躍台となっている」33

 「わたしたちの思考は、既知から未知への冒険を含み、いろいろな困難や行きづまりに当面して、これを打開し、そこから脱出するための新しい工夫をする、その積極性と創造性に本来の働きが見られるのではないか」33

イデアも、想起説も、このような冒険の結果である。それは現代から見れば非論理的な概念だったり、非科学的な物語かもしれない。かつこの冒険は、いかだに乗って大海に出向くようなものである。それでもなお、真実を求め、それによって生き死にすることが大切。この冒険という文脈から、彼の思想を理解しなければならない。

 

※「冒険」というキーワードがよく出てきている。一考の価値ありだろう。ある人のブログで読んだ、「ベンチャーとは企業規模などのことではなく在り方である」という定義も、まさにこれのことかもしれない。

 

7、対話篇の読み方

 プラトンの言っていることの意味は何か、どのような思想で、どのような考え方か。これを理解するのがまず一つ。その上で、自分も一緒に考えて行くこと。ただ理解するだけはダメ。独断的に考えるのもダメ。

 しかし対話編ではプラトンの多方面の関心により、いろんな考えが錯綜してしまうかもしれない。しかし彼の問いの中心点は、人生の全時間において、善かつ幸福であること、つまり「人生いかに生きるか」である。

 

8、プラトンの生涯と時代

 政治の現実に絶望している。彼にとって「政治」とはなんだったのか。

 

9、プラトン主義の生命

 「ソクラテスとの出会いがプラトンをして政治に背を向けることを余儀なくせしめたのではないか」53

  ソクラテス的否定・・・人生とは何か、この第一義的な問いを真摯に考える哲学を前に、政治も芸術も、野心も虚栄心も、無価値になってしまう。

 プラトンの哲学は、彼の政治に対する、このような否定の結果生まれた哲学。それは政治と無縁なのではなく、哲学の第一義から政治を批判すること。しかしそのような否定的関係は単なる緊張関係ではなく、エロスでもある(美しく、優しいを意味しない)。

 

ソクラテス的否定、否定的関係がピンとこない。哲学、真実を第一義として、そこから政治など様々なものを批判すること、だろうか。だとすればそれは、ソクラテスの「対話」における、彼の「虻」の役割(p.26)に等しい。つまり吟味。より善きのために、狭い現状維持に、否定というショックを与えて気づかせること。

→つまり、人に対しても、自分に対しても、政治に対しても、一切に対して、その関係の取り方は一貫していたということになる。真理のため、一切を否定し、それを乗り越えようという冒険である。創造的破壊、というやつだろうか。

 

 

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 どう考えてもお節介野郎だなとは思う。しかも現代は何が正しいのかよく分からない時代である。論理的に論駁するだけではただの論理相対主義である。壊された上にじゃあどうすれば?と聞くと、そんなの自分で考えなさい、ではあんまりではないか、という批判がクレイトポンにあるわけで。

 心遣いとか、姿勢とかはいいとして、思考の原理としてはどうだろうか。経験だけではなく論理により経験を超えていく、対話により相手の納得を破壊した上で再構築させていく、など、基本的にはエレア派の感じを受けるといえば受けるだろう。冒険が大事とはいうが、人は善にのみ生きるのではないわけで。よって結局、殺されてしまうのである。

 

 いやいや、やめておこう。こうして勝手に解釈することは、彼の文脈の理解を狭めてしまう。私もまた、「人生いかに生きるか」という問いの答えを、求めている人間ではある。先人の知恵にもっと耳を傾けるべきである。対話篇の読み方にもあるように、勝手な解釈はいけないし、ただ鵜呑みにしてもよくない。大切なのは鵜呑みにして消化することである。型無しから型有り、そして型破りである。まずはしっかり、話を聞いて理解しなければならない。感情的に、納得いかないからと否定してはならない。

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