【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「男はつらいよ 38作目を観て:自然な関係とは」

 

 

 38作目はキャラがすごい。おじさんもおばさんも大好きな感じのキャラでした。

 

 「男はつらいよ」は何作か観たんだけど、毎回毎回疑問に思っていることがあった。それは無論、本作主人公の寅さんである。どう考えても無礼。にも関わらず、いろんなところで人気者になる。どこか憎めない。この憎めなさの正体は一体何なのか。本作でその一端が、少しわかったような気がした。

 

 きっかけは本作で店をやっているおばさんが、店をたたむことを告白するシーン。船長さんに、「今まで話さなかったなんて、水臭いな」と言っていた。「水臭い」である。水臭いなんて言えるような関係性が、そして水臭いことに対して、それを咎められてごめんって言えるような関係が、現代にどれほどあるだろうか。

 この「水臭い」って言葉。非常に日本人的な感性、関係性に対して感じる情なのではないかと思った。そこで、英語ではなんて表現するのか調べてみた。

 

 すると最初、「Mizukusai」と出てくる。やはりぴったり一致する単語はなさそうである。しかしこんな例文を見つけた。

 

それを言わないなんて水臭いじゃないか.

It was unfriendly of you to keep it secret from me.

水臭いの英語・英訳 - 英和辞典・和英辞典 Weblio辞書

 

 unfriendlyである。つまり「水臭い」とは、「友達」の正反対にある言葉なのである。水臭いという言葉の意味を調べてみても、「他人行儀」という言葉が出てきた。これは本来そうするべきではないのに、他人のように振る舞うということをさす。そしてそれは、咎められるべきこと、なのである。

 ということは、寅さんはこの「水臭い」「他人行儀」の、正反対にいる人なのではないだろうか。つまりみんな友達かのように接する、それが寅さんではないだろうか。友達に対して他人のように接するのが「水臭い」なのであれば、他人に対して友達のように接するのが寅さん、ということになる。

 

 これは一見すると無礼である。なぜなら礼とは、他人に対してするべき振る舞いだからである。他人に対して他人のように、他人として礼儀をつくすことは当たり前である。だから他人に対して他人のように振る舞うことができない寅さんは「無礼」である。しかしそれを通り越して、彼は友達のように接するのである。だから、昨日おとといあったばかりなのに、まるで昔から友達だったかのように、思われるのである。

 

 が、しかし、他人に対して友達のように接することを、人は「馴れ馴れしい」ともいうのではないだろうか。案の定調べてみたら、too friendlyと言うそうである。

 私とあなたの関係を、実際の関係と接し方で、他人と友人という観点でまとめてみると、こういうことになる。

 

実際の関係ー接し方

①友人  ー友人・・・友人

②他人  ー他人・・・礼儀

③友人  ー他人・・・水臭い、他人行儀、親しき仲にも礼儀あり

④他人  ー友人・・・馴れ馴れしい、無礼、フレンドリー

 

 そうするともっと難しくなる。無礼と馴れ馴れしいはどう違う?そしてこのどちらでもなくフレンドリーと感じさせるのはなぜ?

 

 なんかこれは、他者の心の認知の問題と、密接に関わっている気がしてならない。前回書いた、「自由である他者」の問題にも、絡みそうな気がする。

 

kizito.hatenablog.com

 

 心を開く、閉じるという話とも関わるし、他者をどうみるかによって他人行儀かフレンドリーかも変わってくる。私も含め人間皆、心を閉じてるもんだと思えば、そういう付き合い方になるし、人間皆、心を開いているもんだと思えば、そういう接し方にもなる。うーん。

 

 私の友人は、「人間としての、シンプルな、自然体」という。フレンドリーであることは、自然体、だろうか。ただ最近、この自然体を別の人からも聞いて。そしてその二人とも、「自然体」というこの言葉を、人間関係の文脈で使っていたのである。どういう人間が自然か、ではなく、どういう関係が自然か、ということ。私はついつい、関係から独立した私自身という風に考えてしまうけれども、人間すなわち、人と人との間に存在するものの自然は、関係を問うところにあるのだろうか。

 人間として、普通、とは、人ー間つまり人間関係として、普通を問うこと、だろうか。じゃ礼儀は普通ではないのか?普通の関係、自然な関係って、なんだ?

 

 

 

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