【雑記】

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

「『自分を知るための哲学入門』を読んで」

 

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

自分を知るための哲学入門 (ちくま学芸文庫)

 

  哲学の歴史における、いろんな基本的な考え方というものを、紹介している。誰が何を言ったのかではなく、それらを大きくカテゴライズするというか分節化すると、基本的な問題、考え方の枠組みや、問題が見えてくる、というものである。

 

 基本形はもう、主観と客観である。しかしこの主客というものはあくまで原型であり、様々なバリエージョンを持っている。

 精神と身体は違うという心身二元論

 精神と身体は同じものの2側面だという一元論。

 カント的な本質世界と現象世界、そして仮象世界。

 ヘーゲル的な歴史的絶対知という一元論。

 世界とは何か、という実在論的な考え方と、その世界を認識している人間の意識とは何かという観念論的な考え方。

 現代思想もまた、主体と構造=社会というものが乖離して、個人は社会のシステムの中に組み込まれているという。資本主義のシステムによって、我々はものを買うのか、買わされるのかわからないという直観もここあたり。

 

 そして本著では、プラトンからの伝統として、観念論側から考えようとする。それはなぜかというと特に価値の問題に関して、どのような社会が良い悪いかというものは、個々人のもつ生活世界における価値判断を根拠とし、それらの間主観的同意形成によって社会レベルまで拡大していくことだからである。

 これは例えば私が、人間と人間の関係の希薄化に疑問を抱いて、それを友達と共有することにより、社会には居場所が必要だと考える、というような考え方の道筋と一致している。まぁそういうことだろう。

 

 なんだろ、やっぱり、個々人での価値判断というものを根拠に、考えていかないといけないんだなと思った。

 そしてそれを、他者との対話の中で、育てていくことが重要なのであって。まず社会的価値観があって、というわけではないのだ。

 そして現代はソクラテス的問題が続いている。それは本著で紹介されていたギュゲスの指輪の問題、すなわち人間が他者との関係のない時に快ではなく善をなす根拠はどこにあるか、ということと、また『ゴルギアス』の中にあったカリクレスとの問答における、善と快の問題でもある。

 善の根拠は関係にある。しかし現代は関係が希薄化している。故にみんな快を求めて消費して生きるのである。それは他者に迷惑をかけなければいい、という形で現れるエゴイズムである。

 しかし自らの快だけを求めて生きることはどこか、虚しい。なぜだろうか。私という精神の根拠は意味や価値における他者との差異にあるからであり、そして同時に私は意味や価値における同一化を求めるからである。

 いや、よくわからない。しかし意味や価値をめぐっての他者との関係の中に、ギュゲスの指輪や、善と快の問題や、もしくはそれを阻害する、キルケゴールハイデガーの描いた頽落の問題、もしくはニーチェルサンチマンの問題が、ある気がするのである。

 我々は価値や意味のレベルにおいて、時に共生する存在でありながら、時に殺しあう存在ではないだろうか。他者とともに価値を育む人間はそれがその人の存在意義を支えるかもしれない、しかし他者は私の価値を相対化もする存在である。つまり殺す。だから独我論的に自らのロマン世界を生きることで、先に私は他者を殺すのではないだろうか。

 竹田さんの本では、価値や意味の根本には欲望がある。もしくは情動性と言ってもいい。まずはここを見定める、というのが彼の視点である。私はそこに、他者との問題を持って生きたいと考えている。卒論もそういう方向だろう。

 他者とは異なる価値判断を原理的に可能的に持たざるを得ない私が、他者とどのように生きていくことが、良い生き方だろうか。それは強者として、自分の価値判断を押し付けることでもなく、しかしみんなそれぞれだよねって相対化することでもない。絶対化する人間は頑固になるばかりである。相対化する人間は何も信じれなくなる。ではどうすればいいのか。そういうところを考えたい。そしてこの、どうすればいいかの先に、社会や世界という理念に関する、有用なフィクションの可能性というものがあるのではないだろうか。

 心という原理から考えるという点では私も同意する。その心という原理を、他者という観点から考えたい。私が私の価値判断を考える上でも、私の中にいる他者というものは避けられないからである。私は昔、他者を無視した人間だったし、そして今は、何が価値なのかわからなくなっている人間である。しかしその根本には自分の情動性というものがあるはずである。わからないのは、その根本に依拠していないから。しかし依拠しただけでは他者との共通了解が難しくなる。自分に依拠しながらも、他者を住まわせるためにはどうすればいいのか。単相状態としての価値判断を持ちながら複相状態としても考えられるにはどうすればいいか。

 そのために竹田現象学に依拠しつつ、今のところは野矢さんとか、ウィトゲンシュタインとかを参考にすることになるだろう。ニーチェも読みたいなぁ。

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